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2004.05.01 up
手紙U
「ちょっといいかな?」
事務机で端末を操作する僕の頭の上からいきなり声が降ってきた。驚いて視線を向け、声の主を確認すると慌てて席を立ち直立不動の姿勢をとる。
「おかえりなさいませ!古代艦長!」
「そう鯱張らなくてもいいよ。相変わらず真面目だな、君は。」
宇宙駆逐艦『ゆきかぜ』の古代艦長はいたずらぽく笑いながら僕に答礼した。
「今お持ちしますので少々お待ちください。」
「ああ、頼むよ。」
(あーびっくりした。)
僕はまだ胸をバクバクさせながら急いで後ろのキャビネットの、真ん中の引き出しの鍵を開けて引き出した。
古代艦長の用件は解っていた。中から30通程の手紙の束を取り出して差出人の名前を確認していく。
『古代 守』・・・あった!僕は束の中から1通の封書を引き抜くと残りは元通りにしまい、古代艦長の所へ戻った。
「お待たせしました。こちらです。」
「ありがとう。」
僕の差し出した封を受け取った古代艦長はすぐに表と裏の名前を確認した後、ふうと軽いため息をついた。
先程の手紙の束は出撃していった艦艇の乗組員からお預かりしているものだ。殆どの人は直接家族や恋人や知人宛てに手紙を送るが中にはここへ預けていく人もいる。
僕が術科校を出てすぐに留守番部隊の一員として艦隊司令部付の庶務の任について2年。その間に延べ500通以上の手紙をお預かりし、大抵は差出人に戻されることなく受け取るべき人の所へと送られていく。
だから古代艦長のように手紙を書いた本人に、しかもこれで3回目の返却というのは、まず、いなかった。
ぴりっ。
僕の目の前で古代艦長が返されたばかりの手紙を両手の親指と人差し指でつまんで裂くように破く。まるで儀式か何かのように、2枚、4枚、8枚。破く間中無表情な顔が一瞬だけ緩む。前も、その前の時もそうだった。
(・・・そうか)
古代艦長の一連の所作は、お預かりする手紙がいつもたった1通、宇宙戦士訓練学校気付のものだけなのとあいまって、最初に承った時から気になっていた。それが今、急に合点がいったのだ。
多分1通しか書かないのではなくて、手紙を送るべき家族は宇宙戦士訓練学校にいる艦長の弟と思しき人しかいないのではないだろうか。だから返された手紙を破く時その弟さんを想ってほっとされるのでは―。
(いけない、いけない!)
僕は慌てて憶測を頭の中から追い出した。
預かる手紙について詮索しないし、預ける方も説明しないというのが僕達留守組と出撃する乗組員達との暗黙の了解だった。そうでなければとてもじゃないけどやっていけない。
気が付くと先程返した手紙は古代艦長の手の中で細かい紙吹雪のような紙片になっていた。古代艦長は右手にぎゅっとそれを握り込むとそのままいつものように上着の右ポケットに突っ込んだ。
「いつも手間をかけて済まないね。毎度大して変わらない事を書いているんだから預けっぱなしにすればいいのだろうけど。」
「私(わたくし)は手間などと思った事はありません。いつでも喜んでお預かりします。」
言ってからしまった、と思った。昨今の状況に『喜んで』という言葉があまりにもそぐわない気がしたからだ。
「あ、あの、その・・・。」
どう言葉を繋いだら良いか解らないでいると古代艦長が、さっき、手紙を破いている時に一瞬浮かべたのと同じような穏やかな表情で
「ありがとう。」
と声をかけて下さった。
「また出撃する前に持ってくるよ。」
「お待ちしてます。」
もう既にドアへ向かって歩き出していた古代艦長は背中を向けたまま”おう”という感じで右手を頭の上でひらひらと振った。
1週間後、古代艦長は手紙を僕達に託すと宇宙へと戻っていった。
その後古代艦長とお会いしたのはあれから2ヶ月ほど経った頃だった。今でもはっきり覚えている。
前々日からすぐ隣の補給隊が慌しい様子だった。やがてこちらにも補給の為艦隊が急遽寄港するという連絡が入ってきた。
日付が変わると一度に15隻もの艦が交代に燃料や弾薬を積み始め、僕達も停泊中に用件を済ませようとする乗組員への対応でおおわらわだった。
夕飯時も過ぎ、訪れる乗組員がいなくなってもまだ僕は居残って仕上げ切れなかった書類と格闘していると古代艦長がふらりとやって来た。
「お、まだ仕事か?」
「はい、今日のうちにやっておかないと明日の提出期限に間に合わない書類がありまして。」
僕は席を立って姿勢を正した。
「あ、今手紙を持ってまいります。」
「・・・今日はいいんだ。このまままた預かっておいてくれ。」
「え?」
どんなに短い寄港でもお返ししていたのに。思わず僕の顔が曇った。
「それより・・・これ。」
僕の様子など目に入らないかの様に古代艦長は上着の右ポケットに手を突っ込むと何かを握ったまま取り出した。そして反対の手で僕の手を取ってそれを握らせた。
そっと手を開いてみると
「みかん・・・?」
「今日の夕飯の食べ残しで悪いんだけどな。」
古代艦長はいたずらっぽく笑った。
生のみかんなんて何年ぶりだろう。みかんに限らず生の果物はもうそうそう口に入るような物では無くなっていた。
夕食に出た自分の分をこっそりポケットにしまい込んで持ってきたのであろう古代艦長のみかんは、少々しなびてはいてもまだ甘酸っぱい馥郁とした香りを放っていた。
思わず鼻を近づけて夢ごこちにその香りをさらに感じようとした時。
「直接渡せて良かったよ。世話になったからな。」
古代艦長の言葉で僕は現実に引き戻された。こんな生の果物まで出されるような夕食だったということは・・・決死の作戦が開始される直前なのかもしれない―。
みると古代艦長の顔からは先程の少年のような笑顔は消えていた。
「明日の早朝に全艦出撃する。当分・・・帰れない・・・と思う。」
やっぱり。僕の嫌な予測は当たってしまった。
「今までありがとう。元気でな。」
古代艦長が僕に敬礼して下さった。
今まで何度かこういう状況に出くわしてきたというのに、僕は今度も気の利いた言葉ひとつ出てこないまま、ただ立ち尽くすばかりだった。
「それじゃあ。」
古代艦長が立ち去ろうとする段になってようやく一言、
「武運をお祈りしています。」
古代艦長はいつものように背中を向けたまま”おう”という感じで右手を頭の上でひらひらと振った。
翌朝、僕はいつもよりずっと早く基地へ行った。出撃する艦隊を見送る為に。
地上へのゲートが開かれて一隻、また一隻と飛び立っていく。その中には古代艦長の『ゆきかぜ』もあった。
大勢の基地隊員に混じって手を振りながら
―もうあの手紙を古代艦長にお返しすることはないだろう
そんな事を僕はぼんやり考えていた。
終
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