2004.06.15 up

地上の星

 ― この一遍を無名の丘・ロック様に捧げます。 ―
 
 月が未だ空に昇る前の暗夜。計器類の灯が浮かび上がるコクピットで、加藤三郎は快調に吹き上がっているエンジンが発する轟音を全身で感じていた。
 加藤がこの最新鋭戦闘機・コスモタイガーUの操縦桿を初めて握った時、ブラックタイガー同様、いや、それ以上の相棒になる予感がした。力強く空へ駆け上がり自分の手足のように舞う新しい愛機―予感は今や確信となっている。
 一連の機種転換訓練が終われば加藤達は初めて地球外に常駐するコスモタイガーU部隊として月面基地に赴任するのだ。
 
「Moon-Tiger1、こちらMoon-Tiger2。加藤、前方にちょっと雲が掛かってきたなぁ。」
 今日の夜間訓練のウィングマンである山本明がレーダーに映る雲を見て無線を繋いできた。加藤は改めて空を見る。
「こちらMoon-Tiger1。特に問題ないだろう。ブリーフィングでも気になるような気象情報はなかったし。」
 恐らく巻積雲と思われるその雲は訓練域である広大な未開発エリアの上空に広がりつつあった。
「雲がかかるようになるなんざぁ、空気に水っ気が戻ってきた証拠さ。それより訓練、訓練。」
 加藤は軽く言った。
「お前、夜間訓練が好きだなぁ。」
 山本が苦笑いする。
 視覚情報が極端に減る夜間飛行。その危険性ゆえにこうして訓練している訳だが、加藤は、そして山本もこの訓練を苦にするどころかむしろ楽しみにしていた。
 それは多分あの航海を思い出させるからだろう。そしてここ暫く飛び出していない、大気の向こう側に広がる空間への郷愁。




 訓練域が近づき、二人は各々の機体に搭載されたコンピューターから訓練用のデータを呼び出してセッティングしていると、加藤が素っ頓狂な声をあげた。
「こちらMoon-Tiger1。おい、山本!前を見てみろよ。」
 言われるままに山本が視線を移すと漆黒の大地が広がっているはずの未開発エリアにポツリポツリと明かりが点っていたのだ。この明かりは環境回復作業の拠点となっている構造物に取り付けられた衝突防止灯で、それぞれが緑を取り戻す戦いの最前線を示していた。
「こんなとこまで・・・すっげぇ!・・・。皆頑張ってんだなぁ。」
 荒地の奥の奥まで分け入り作業している人々がいる事に加藤の心は素直に動かされた。
「ホント、凄いな。」
 山本も思わず呟く。
「ライトがまるで星みたいで綺麗だ。さしずめ”地上の星”ってとこだな。」
「加藤の口から詩人のような台詞が出てくるなんて。気持ち悪いなぁ。」
「失敬な!あの明かりの下に汗水して働いている人がいると思うと一際綺麗に見えるという素直な気持ちを表現してるのがわからんのか?」
「はいはい了解しました。編隊長殿。」
 その後二人はしばらく無言で地上の光景を眺めていたが加藤が顔の表情を引き締めて言った。
「さぁて、観光はここまでにしてそろそろ始めるぞ。」
 
 ディスプレイに表示されるデータを基にコスモタイガーを駆る。ある時は高高度から。ある時は低空進攻して。旋廻を繰り返しながら2機のコスモタイガーUは連携して仮想目標に接近し照準を合わせ、トリガーを引いた直後に離脱する―。銃口からパルスレーザーが発せられる代わりにコンピューターが判定した戦果がディスプレイにはじき出された。
 その間ずっと、雲間から星がまるでゆっくり流れているように見えていた。地上には人々が点した”星”が瞬いている。天地の星に囲まれて、加藤はヤマトで航海していた頃に戻る。
 ”明日の約束”なぞ許さない危険なミッションを遂行する緊張感とブラックタイガーのコックピットに座っている安心感、無限の世界に身一つで飛び出していく孤独と仲間との連帯感。相反する感覚が身体の中で混沌と渦巻いて湧き上がってくるのは生きているという手応え。しかしそんな世界はここでは望むべくも無い。同じように愛機を駆り、同じように星に包まれているというのにー。
 さっき狙った最後の目標にうまく命中した事をしめす結果がディスプレイに表示され、今日の訓練が終わった事を知った加藤が帰投する旨を山本に告げようとした時、山本の方から無線が入った。
「こちらMoon-Tiger2。機体が反転したままだがどうした?」
 山本の指摘でとっさに姿勢計を見た加藤の背筋に、冷たいものが走った。




 最初に異変に気が付いたのは山本だった。
 山本の前を飛ぶ加藤のMoon-Tiger1が最後の目標を攻撃してローリングしながら上昇離脱した。山本のMoon-Tiger2も後に続いて攻撃を加え同じ様に機体を捻りながら離脱する。上空で機体の姿勢を整えた山本機の前方には既に水平飛行に入った加藤機がいるはずだった。しかし加藤のMoon-Tiger1はコックピットを下にしたまま反転の状態で飛んでいたのだ。
 
 ―何か足りないんだよな
 
 山本と組んでの訓練の前や後にこんな事を呟きながら加藤は、自分に喝を入れるかのようにくるりと旋廻したり急上昇する事があった。山本は加藤の行為を容認しつつ、それでも口では『新鋭機をおもちゃにするなよ。』と窘めるのが常だった。
 今日もそんな気分の発露か、と一瞬思ったがやはり何かがおかしい。
 山本は加藤に無線を入れた。
「こちらMoon-Tiger2。姿勢が反転したままだがどうした?」
 暫しの沈黙の後加藤の押し殺したような声が返ってきた。
「すまん、山本。バーティゴに入ったようだ。」
 バーティゴ―空間識失調―とは過重や視覚等によって錯覚を起こし、自分の機体の姿勢や方向を正しく認識できない感覚異常に陥った事を指す。最悪の場合墜落につながる危険な状態だ。
「加藤!すぐに姿勢計で確認しながら立て直せ!計器飛行に専念しろ!」
 山本にしては珍しく大きな声で無線にがなりたてると周波数を切り替えて基地の管制塔に繋いだ。
「FEAコントロール、こちらMoon-Tiger2。エマージェンシー!Moon-Tiger1がバーティゴに入った。」
「こちらFEAコントロール。レーダーがそちらの機影を捕らえた。詳しい状況と残存燃料を報告されたし。」
(ちきしょう!)
 加藤は編隊長である自分の代わりに状況説明する山本と管制塔とのやりとりを傍受しながら心の中で毒づいた。
 今の状態では計器を見ながら機体の姿勢を維持するのが精一杯である。計器を見ている間三半規管が常に違和感を訴えている。そのうちその違和感に引きずられて計器の表示が間違っているのではないかとさえ思えてきた。
(ちきしょう!ちきしょう!)
 ヤマトでの航海の間、何の目印の無い宇宙空間を飛ぶときはブラックタイガーの計器を信頼して飛んでいたはずだった。ガミラスの戦闘機とドッグファイトするとき日々の訓練で研ぎ澄ましてきた”感覚”が何回も窮地を救った。
 その両方の信頼が同時に揺らいでいる今の状態に、加藤の中で憤怒とも恐怖ともつかない感情が渦巻いていた。
「加藤、基地が近い。もう少しだぞ。」
 バーバーティゴに入ってからずっと前を飛んでいた山本が呼びかけてきた。山本が読み上げる着陸に備えてのチェックリストに従って速度と高度を落としギアを降ろす。
 そして最後の旋廻に入る直前、加藤の中からふっと違和感が消えた。
「山本、やっとバーティゴから抜け出せたようだ。」
「大丈夫か?」
「ああ、もう大丈夫だ。」
「それじゃあ加藤、俺は行くぞ。GOOD LUCK!」
 山本のMoon-Tiger2が大きく旋廻してギアを引き上げ、滑走路の横を速度をあげながら通過していった後、加藤のMoon-Tiger1は滑走路に正対して降りていった。滑走路の端に設置された進入角指示灯の赤と白のランプが正常な進入角度である事を教える。
 接地したとたん、タイヤが滑走路の凹凸を伝えてきた。リバースをかけて減速し滑走路の端まで行くと誘導灯に従ってタクシーウェイを抜けてエプロンへと向かう。
「はぁー。」
 途中キャノピーを開けて入ってきた夜風に加藤はやっと安堵の息を吐いた。




「加藤、まだ起きてるのか?」
 宿舎に戻り、シャワーを浴びた山本が加藤に声をかけた。既に寝間着に着替えた加藤は自室のベッドに腰掛けたままゆっくり振り向いた。
「今日は特別に俺のおごりだ。」
 そういうと山本は備え付けの冷蔵庫から取り出した缶ジュースのひとつを加藤の頬に押し付けた。加藤は缶の冷たさに身体をびくっとさせたが素直にサンキュー、と受け取った。『なにすんだよ!冷てーじゃねーか。』などと文句のひとつも返って来ると思っていた山本は思わず拍子抜けしてしまった。
(そんなにショックだったのか。)
 これ以上声を掛けてもよいか迷っているうちに加藤が先に口を開いた。
「今日は助かったよ。」
「上の方は何て言ってた。」
「明日中に状況報告書をまとめて提出しろ、とさ。」
「訓練は?」
「明後日からでも飛ぶさ。」
「何だ、静かなのは明日だけか。」
 山本は軽口を叩きながら内心ホッとした。今夜の一件で万が一飛ぶ事自体に恐怖心を持ってしまっていたら、と思ったからだ。しかし加藤の次の一言でそんな気分はどこかへいってしまった。
「しかしザマぁないよな。こんなのが新飛行隊の隊長候補とはな。」
「加藤・・・。」
「率いられるパイロットが迷惑だ。」
 手に持った缶ジュースに視線を落としたまま低く呟く加藤に山本は冷静に言った。
「バーティゴは荷重や視覚の条件が揃えば誰でも陥る可能性がある。訓練で克服できるものではないからこそシミュレータで疑似体験していざっていう時に備えているんじゃないか。今日たまたまお前はそうなった。それだけの事だ。」
「主要条件がひとつ抜けてる。・・・”精神的な状態”だ。」
 加藤はようやく山本と視線を合わせた。
「確かにローリング後に姿勢を勘違いしたのは雲間から見える星と地上のライトを見間違えたのが原因のひとつだ。でもそれならお前も条件は一緒だろう。」
「・・・」
「今日の訓練、凄く生ぬるく感じてたんだ。俺。ヤマトでブラックタイガーに乗ってた頃と比べてな。もっと、こう、手応えがあったとか、燃え立つようなものがあったとか。どんな状況でも飛んでいる以上絶対安全って事はないのに油断してたのさ。星が綺麗だ、なんて呆けた事を言って。」
 視線を宙に泳がせながら加藤は続けた。
「・・・考えても見ろよ。今のように訓練、訓練で実際には命がけでドンパチやらずにすんでいるのがいいに決まっているじゃないか。それなのに編隊長が命がけのスリルを求めてるようじゃ、ついていく方はたまったもんじゃないだろう?命がいくつあっても足りないぜ。」 
 最後を吐き捨てるように言うとそれきり黙ってしまった。



 加藤を見下ろすように立ったまま、口を挟まず最後まで聞いていた山本がゆっくり話し出した。
「もしそうなら、今日俺がバーティゴに入らなかったのは、ただ運が良かっただけさ。・・・俺もお前と同じ事を考えていたから。」
 加藤が思わず山本を見ると山本は苦笑いしていた。
「気が付かなかったか?ま、俺はお前ほど表には出していなかったからな。」
 山本はまだ驚いたままの加藤の横に座ると真顔で聞いた。
「なあ、加藤。今でもあの”星”、綺麗だと思えるか?」
「何だよ、藪から棒に。」
「真面目に聞いているんだ。あの未開発エリアで見た明かり、綺麗だったと感じるか?」
 山本の語気に気おされて、加藤は自分の胸の内に何回も問うてみた。
「・・・やっぱり綺麗だ。今でもそう思う。」
「だったら大丈夫だ。本当に大事なものはちゃんと見失っていないさ。」
 山本は缶ジュースの蓋を開けて加藤に向かって軽く掲げると一口飲んだ。
「今までとはあまりに急に変わったから、心がバーティゴに入っちまったのさ。お前も、俺も。もしかしたらヤマトに乗っていた連中は大なり小なり俺達と同じ様になっているかもしれない。・・・入ったものはいつか抜けるよ。今日のお前みたいに。」
 自分に言い聞かせるように言う山本を加藤はまじまじと見た。
「・・・今日のウィングマンがお前で本当に良かったよ。」
「なんだよ。それ。」
「マジでお前がいてくれたおかげで助かった。ありがとう。」
「なんか、そう素直に礼を言われると気持ち悪いな。・・・立場が逆だったらお前だって俺と同じ事をしたろう?」
 こう言っても未だ神妙にしている加藤をみて山本はふうとため息をついた。
「どうしても気にするって言うなら、今度誰か同じように助けを必要としている奴がいたらそいつを助ければいい。」
「なんだそりゃ?」
「古代の受け売り。火星へのワープ直前にあいつに助けられた後、礼を言いにいったらこういわれたのさ。」
 
 ―どうしても気になるのなら俺に限らず誰でもいい、お前の助けを必要としている奴がいたらそいつを助けてやってくれ。
 こんな時はお互い様なんだ。俺を直接助けなくても巡りめぐって俺を助けた事になるんだからな。―

 
「あの頃の古代がそんなに達観していたとは思えないなぁ。」
 加藤が首を捻る。
「あいつも多分兄貴あたりからの受け売りなんだろうよ。」
「あはは。違いない。」
 やっと笑った加藤につられて山本も笑った。
「さあて、それじゃ遠慮なく頂くぜ。」
 加藤は先程山本から貰ったジュースの缶の蓋をようやく開けた。少々ぬるくなったジュースをそれでも美味そうに飲み干す。
「お、月だ。」
 山本が窓を見て言う。そこにはようやく昇ってきた上弦の月が光っていた。
「1ヵ月後にはあそこにいるんだよな、俺達。」
「ああ。」
 山本の呟きに頷きながら加藤は思った。


   今日のことはずっと忘れないだろう。
 そして見失わないようにあの月から探すのだ。見えるはずのない地上の星を。
 点した人々への敬意をこめて、美しさに潜んでいた落とし穴への恐れと共に。




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